休む・休まないの境界線
こんにちは、れんです。
定期的にそういう時期がくるんですが、このところよく昔のことを思い出します。
小さいときの記憶って意外と鮮明に覚えてたりしますよね。
しかもあまりよくない思い出ほどくっきり思い出せたりして、それを思い出すようなきっかけになる出来事があったりするとなんだか追体験をしてるような感覚になったり。
わたしはあまり体が丈夫なほうではなく、頭痛、腹痛がしょっちゅう起こり、年に1回以上は必ず風邪を引いてしまいます。
体調がよくなくバイトを休むこともしばしば…
これに対してどうも罪悪感というか、してはいけないことをしているという気持ちがあって、こういうことがあると自分を責めずにはいられなくなったりします。
よくよく考えると風邪を引いたり具合が悪くなると、いつも母親に怒られて心配すらされませんでした。
体調管理ができないのが悪い、熱が39度以上出ない限り学校は休むな、どれだけ周りに迷惑をかけているかわかっているのか、と責められるのが常でした。
たしかにいま考えてもこの考えは間違ってはいないと思います。
そのため、休むことはいけないことだという概念が抜けず、どうしても無理をしがちで、本当に酷くなってからでないと休んでもいいと思えなくなってしまいました。
この間も腹痛と頭痛が酷く、立っているのもやっとの状態だったとき、無理をしてアルバイトに行きました。
(無理をしているという自覚は全くなかった)
同じアルバイトの子にあまりにも心配されるので、社員さんに体調がよくないことを伝えると、お説教されてしまいました。
具合が悪い時は、ちゃんと休まないとダメだよ。無理して酷くなったらどうするの。今度こういうことがあったら本当に怒るからね。
と言われ、おまけにお粥まで作ってもらい、なんだか申し訳ような、複雑な気持ちになりました。
後から聞くと、声もほとんど出ておらず顔面蒼白だったらしい。
こんなふうに大事にされたことがない私は、休むことを責められるのではなく、休まなかったことを叱られたことに驚きました。
ふと昔のことを思い出して、こんなふうに大事にされたかったんだなと当時の自分の気持ちを思い出しました。
それと同時に、こういう優しさを受けることがなく自己否定に走る価値観を持っていた自分が惨めになり、泣きたくなりました。
自己肯定感が低すぎるため、無理をしてでも頑張らないと誰も休むことを許してくれず、認めてもらえないと思い込んでいたみたいです。
少なくはなりましたが、今でもそういう考えはなくなってはいないと思います。
優しくしてもらうのは本当に大事で、自分は大事にされているという価値観が、安心感と自己肯定感につながるのだと再確認できました。
休む、休まないの境界線は個人にしかわからず判断できないことですし、つらいと思ったら休んでもいいと思います。
それをとやかく言われるなら、環境がよくないので離れるべきだとわたしは思います。
と、半分自分に言い聞かせて、マイペースに過ごしていこうかと思います。
無理をしないことがいま必要な課題かもしれません。
慌ただしい春の季節が、ちょっとだけ穏やかになりますように